今日は、山田君の応援で球場に来た。
さすがに準決勝となると、ギャラリーも増えて人の山、山、山…人の海とはこの事だ。明訓の試合後も、また試合が控えていると言うからこの人の山は当然なのかもしれない。

ちゃーん!」

聞き覚えのある声に視線をずらすと、サチ子ちゃんが満面の笑顔で手を振ってくれていた。
今日は、一部の生徒しか愛用していない帽子を被り、サチ子ちゃんには少し緩めの学ランを着用している。

「こんにちは」

「うん!こんにちは」

お互いに挨拶を済ませたらサチ子ちゃんは横にずれて、空席のできたベンチをぺちぺちと叩いた。

「お兄ちゃんの応援でしょ?ここ、座って」

「ありがとう。」

気遣いに甘えて腰を降ろして、グラウンドを見る。今は、対戦校の練習時間らしい。ユニフォームを着た選手達を見ると、“試合”だと改めて認識させられる。
今日と、明日勝てば…甲子園。
自分が試合に出る訳じゃないのに、手がじっとりと汗ばむ。

勝って…山田君。



*………*



私の願い空しく、現在九回。試合は、一進一退というか…なんとか一点差で明訓優勢だ。でも、この一点は安心して見られない。
投手が…岩鬼君が毎度ながらコントロールが定まらないので、デッドボールでの出塁が出るし…いつか退場になるんじゃないか…と冷や冷やしてしまっているからだ。

岩鬼君に対して冷や冷やしてると、今度は山田君が全力で腕を伸ばしても捕れない場所へ投げてしまった。打者も慌てて避けていた。

これには堪らず明訓側からもブーイングが起きる。サチ子ちゃんに至っては、思いきり太鼓を叩きながら「里中ちゃんを出せー!」と叫んでいる。

…でも、結局投手は代えられることなく、岩鬼君は次の投球に入り、ストライクを決めてしまった。

お願い。この調子で抑えていって…!

柄にもなく手を強く握って祈ったら、次の球が投げられ、歓声が強くなった。

岩鬼君の球は当てられ、こっち側にボールが飛んで来てるのが見えた。
明訓のベンチへ浮かぶボール。

山田君は走りだし、土井垣さんもベンチに一直線。
土井垣さんはジャンプして捕ったけど、庇に当たって見えなくなった。ボールも落としていたような気がする。

…逆転…?

せっかくここまで優勢だったのに…。

「アウト、アウト!」

顔に力も入らず、冷たくなりかけた手を握ったら、主審の声が聞こえてきた。

アウト…。ベンチから、山田君と主審が出て来る。
山田君が捕ったの?

「やったー!ちゃん。勝った、勝った!」

サチ子ちゃんが太鼓を叩きながら、呆けた私に囃し立てた。

勝ったと分かったら、手に熱が戻り、顔も動かせるようになった。私の体は現金だ。

「明訓ーっ!やったーーっ!」

気付けば、大声で勝利を喜んでいた。

ちゃんって、実は元気だったんだね」

サチ子ちゃんが急にそんな事を言うものだから、私は驚いてしまった。

「なんで?」

「だって、いつも大人しいし、あまり笑わないからさ」

サチ子ちゃんに言われて気付く。に怒鳴ったり、その元カノと喧嘩した以外に、最近は大声を出してなかった事に。

「元々大人しい訳じゃないけど…最近は騒いでなかったから」

「何で?どっか悪いの?」

「違うよ。でも、よっぽどテンションが上がらないと、さっきみたいな声は出さないかな」

とりあえず、昔あったごたごたに関連する事は伏せた。学校に友達が居ないとか、すごく冷めた目で周りを見てるとか……サチ子ちゃんに、そういった事を話すのは気がひけたから。
本当は私も、昔みたいに曇りなく笑ったり友達と過ごしたりしたいけど、やっぱりまだまだ怖い。

目をグラウンドに移すと、山田君たち選手が引き上げて、ベンチに戻って来てる。
唯一、明訓でよく話す同級生。私みたいに、はみ出した者にも山田君は優しい。私は、山田君が優しいから好きなのかな。いや、優しいだけなら中学の時にも、そういう子は居た。
彼らと、山田君の違い……それは、打ち込めて力を発揮出来る事があるという所かもしれない。野球に関して、山田君は真っすぐな思いを持っている。それが羨ましくもあり、輝かしく映るのだろう。私には、まだそこまで夢中になれるものが無いから。

山田君が、視線をこちらに寄越したのが見えた。

目があったように思えたけど、私を通り越して別の所を捉えている。

視線のたどり着く先を見たら、階段から上がって来た男の子が目に入った。坊主よりも少しだけ髪が伸びた頭に、半袖に学生ズボンという出で立ちだ。右肩部分が破けたのか何なのか分からないが、継ぎ当てを大胆に施している。山田君より背は少し高い。すらりとしているけど骨格はしっかりとして、日焼けした肌色と地味についた腕の筋肉が見えて、たくましげだ。

「遅いじゃないの。もう終わっちまったぞ!」

サチ子ちゃんが学ランを脱ぎつつ、男の子に強めな語気で怒る。

「ご、ごめんだや。だけど次の試合がまだあるだべよ」

男の子は、少しだけ首を傾げて、サチ子ちゃんに謝った。山田君たちの知り合いだろうか。

推測の混じった視線に気付いたのか、男の子が「こんちは」と言いながら会釈をした。私も慌てて会釈する。

「こんにちは」

「やっぱり都会の子は、お洒落だべ」

「と、都会の子?」

気にはなってたのだけど、なまり混じりの言葉。この辺りの子ではないのかな。

「ああ。俺んとこは髪染めても、どっか垢抜けねぇ格好の子ばっかでよ」

「そういうものかな」

「そういうもんだぁ。さすが、土井垣さんの応援だで。めんこい、めんこい」

「いや、そういう訳じゃ……」

正確に言えば明訓の応援に来てるのであって、土井垣さんの応援では無い。更に言うと、山田君の応援の方が比重が大きい。
だが明訓を応援する女子は大体が土井垣さんのファンだから、この子がそんな事を言うのも頷ける。

「やい、でかせぎ君。ちゃんは、お兄ちゃんの応援なんだぞ!」

横から、サチ子ちゃんがちゃちゃ入れをしてくれた。
でかせぎ君と呼ばれた男の子は、少し眉頭を上げて私達を見ると苦笑いを浮かべた。

「やぁ……山田君も隅に置けねえべ」

「でしょ?お兄ちゃんは、よく、可愛い子にモテるんだよ」

サチ子ちゃんは得意気に言う。
自慢のお兄ちゃんなんだなあと改めて思うと同時に、別の不安が胸に沸き上がった。

“可愛い子にモテる”

一緒に過ごしてきて、そうは見えないけど……モテるという事実はあるんだ。
現に私は山田君を好きだし、有り得ない話ではない。
可愛い子が山田君を好きになる……自信の無い私には、大きなプレッシャーだ。

ひとりで勝手に不安になっている内に、次の学校の練習が終わり、試合になっていた。

ぼうっとして試合を見ていたら、着替え終わった山田君が階段から上ってきた。

「サチ子。さん。あ、でかせぎ君」

「おめでとう、山田君」

「山田君、良かったでよ」

私がお祝いの言葉を述べる後に、男の子も立てつづけに言葉を発した。山田君もあだ名で呼ぶという事は、中々親しい間柄なのかな。

「みんな、ありがとう。明日は尚の事、頑張らなきゃな」

山田君は、ほんの少し笑って、明日の事を言う。

「お疲れ様。座らない?疲れたでしょ?」

座席は、サチ子ちゃんと私が最初に取っていた二つしか無い。今日の球場の入りは満員で、他に空いてる席など無かった。とは言え、サチ子ちゃんは、席の上に立っているのだけど。

「いや、大丈夫さ。さんが座っててくれないかい。せっかく来てくれたんだし」

「んだ。女の子は座っとれ。俺らは立ってても平気だでよ」

そう言って山田君と、でかせぎ君は少し上の立見用スペースに移動してしまった。
きっと、視界に入ったら気を遣うだろう事を分かってたんだ。そんな山田君達の気遣いに感謝しつつ、気になっていた事をサチ子ちゃんに聞いてみる事にした。

「サチ子ちゃん。山田君って……モテるって本当?」

「うん。すごいんだよ。中学の時、試合相手の妹さんも応援してくれたんだから!熱いよね。稔子さんって言って、すっごい美人なんだよ」

「へ、へえ。そうなんだ」

努めて平静を装って、受け答えた。本当は、穏やかじゃない。その試合相手の妹の事を考えると……。兄の応援をしないで、山田君の応援をしていたと言う事は、それだけ山田君に重きを置いてたと言う事だ。言葉通りに解釈するなら、だけど。
今日も、応援に来てるのだろうか。この球場のどこかで山田君を見つめていたのだろうか。
が浮気していた時は絶望を感じたけど、今は、稔子さんとやらに嫉妬してる自分が居るのが分かる。女では、私だけを見て欲しいと思ってしまう。不安なのだ。山田君が、その子の事を好きかもしれないという事が。

……いや、勝手にどんどん不安になったら駄目だ。サチ子ちゃんの説明は過去形だった。
もしも山田君と繋がりがあるなら、どこかで山田君の応援をする、それらしい姿を見かけてる筈だと思う。今日だって、その前の試合だって見かけなかったのだから、山田君との繋がりは今は無いんだろう。
何より、山田君は彼女居ないって言ってたし、家族以外からの応援をとても喜んでいた。あまり、山田君を専門的に応援している人は居ないという事だ。
とりあえず、山田君と稔子さんとやらに、今は繋がりは無いと思いたい。そこに落ち着くんだ、

勝手に憶測をたてて葛藤していたけど、サチ子ちゃんはお構いなしに喋り続けていた。

「それに、ちゃんも応援してくれるじゃん。お兄ちゃんは、いい応援に縁があるんだよ」

「え……」

思わぬ評価に驚く。
サチ子ちゃんの中では、私の応援方法は好評らしい。

ちゃんの応援って、大人しいけど一生懸命な気がするんだよね。それはすっごく分かるんだ!」

サチ子ちゃんは、私に向けて笑顔を作る。認められてるようで、とても嬉しい。
冷めてる私だけど、またよく笑えるようになれる可能性を信じたくなった。

“カキィ”というミート音に、グラウンドを見たら、球がこちらに向かって来ていた。サチ子ちゃんの方へ飛んで来ている。
サチ子ちゃんは避けようと体をよじったけど、それがかえって球の軌道に入ってしまっている。

「サチ子ちゃん!」

私は息を殺して、普段からは考えられない位の力でサチ子ちゃんに抱き着いた。私のほうが大人なんだから、守らなきゃ!
痛いのかな……痛いよね。来るべき痛みに備えて、力が入る。
しかし一向に痛みは無く、恐る恐る目を開けたら、かなり長身の男の子が素手でボールを止めてくれていた。

男の子は痛そうに呟き「どアホ!!まっすぐ打たんかい、へたくそめ」と言いながらボールを投げ返した。
捕手が球を捕ったのだけど、かなり痛いらしくミットと球を落とす。

少し唖然としてしまったけど、私の拘束からサチ子ちゃんが抜け出そうとしているのに気付き、我に返る。

「おにいちゃん、ありがとう」

「あ、ありがとうございます」

助けてくれた男の子は「ほい」と笑顔で言って、出口へ向かい、階段を颯爽と降りて行く。
私達も席を立って、その背中を山田君達と見送った。

「サチ子。さっきの球は軌道を見てれば、当たらなかったんだぞ」

「うん。次は気をつけるね」

「そうそう次があったら困るべえが……だけど、スタンドなら、無いとは言い切れんでよ」

でかせぎ君は苦笑いをして、サチ子ちゃんに球場は危ない事があると話し出す。
山田君は、困った顔になって、今度は私に向いてから溜め息も吐いた。
はっきりと困ってると判断出来るなんて珍しい。

「……さんもだよ。サチ子を自分の方へ引き寄せれば済むのに……わざわざ当たりに行くなんて」

「……うん。確かに、そうだよね。今、思うと」

「全くだよ。物凄く冷や冷やした」

山田君は、変わらず困ったままの顔で私を見る。
そういえば、こんなに分かりやすい表情の山田君は珍しい。いつもは笑顔をベースにしてるけど、一瞬で読み取る事は難しい顔をしてる癖に……。
つい、期待してしまうじゃないか。大事に思ってくれてるんじゃないか、とか、こんな顔をみせてくれるって事は特別なんじゃないか、って。

「僕は、寿命が縮んだと思ったよ……もっと自分を大事にしてくれないかい?」

山田君が再び溜め息を吐く。
山田君に心配をさせて、心苦しい。だけど、それとは別に、心配してくれた事が嬉しくなってしまった。何とも、不謹慎だ。

「……ごめんね」

「あ、いや。サチ子を庇ってくれたのに、こっちこそごめん。お礼も言わないで」

何故か山田君は、慌てて謝ってくれた。
私が、どう答えようか迷っていると、先に山田君が口を開いた。

「ありがとう。サチ子を守ってくれて」

今度は、いつものような顔で……だけど、笑顔で私に向いている。

どうしよう。山田君は私の心を捕まえる天才かも知れない。私、とても鼓動が早くなってしまっている。



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2008/05/07
田舎の子のファッションについて…私の故郷(かなり山奥)ではそんな感じで、野暮ったい子が多かったです・汗。「そんな事ないよ!」と思われた方、ごめんなさい。私の故郷がそんな感じだったので御容赦を…。方言は、原作を元に作成しております。しかし緒方君、あの訛りは後ほど消えてしまいますよね。不思議でなりません。標準語特訓でもしたのかしら…。
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