今日は寒い。
最近は異常気象で、身を切る様な寒さはずっと無かったのだけど、今朝、家の前に氷が張っていた。
今、私の格好は、樺地君の学校の制服に負けないミニスカートにPコート。一瞬、ミニは止めようという考えが過ぎったけど思い直した。
今日は貴重な日だ。樺地君とのデート。貴重な休みの日。気合いを入れて行きたい。もしかしたら“可愛い”って言って貰えるかもしれない。
小さな見栄と打算だ。
ただでさえ学校が違うんだ。こういう時に、印象付けておかなきゃ。
とりあえず約束した時間も迫りがちだったから、気温はさておき走り出した。
*………*
駅で落ち合った時、若干、樺地君は険しい顔をしていたように思ったけど、デートという事実の前には浮かれまくって気にしてなかった。多分、驚いたとしてもミニを履いた事かと思って、“ミニ様様だ”と心の中でガッツポーズをとった。
でも、到着した駅から少し歩いて目的地に着いた今、あの僅かな表情の変化が憂いた事を理解出来た気がする。
樺地君は用意が良く、ニット帽にマフラーに手袋をしている。
それに対して私は、帽子はおろか手袋もマフラーもしていない。今日の冷え込みを甘く見ていた。
風強い。油断したらスカートめくれる。海風だからなお冷たい。骨から凍える様だ。歯がカスタネットの情け無い版みたいな音をたてる。小刻みな震えが止められない。
「……さん…、寒いから……帰りますか…?」
「とととんでもない!むしろ平気っ!」
次の日に高い熱が出て休む事になろうと、今が死ぬほど寒くても、私は大丈夫。
樺地君と一緒なんだもん。樺地君が行きたいと思って、連れて来てくれたんだもん。レアだらけ、プレミアだらけ。
私には、そんな貴重体験をすぐに打ち切るなんて、勿体無い真似は出来ない。それに、普段来ない場所で、物珍しくてテンションも上がりつつあるのも確かだ。
「ああー!海、海!船!すっごい興奮するっ!」
大声を出す事で寒さを回避したく、船と水平線に向かって叫ぶ。じっとしてたら寒い。真っ向から吹く風で少し息苦しい。
私は、樺地君に「動こう」と一言掛けて歩き出す。
樺地君は、私のぴったりすぐ後ろをきちんとついて来てくれている。
…どうせ一緒に歩くのなら、隣がいいな。あわよくば、寒さにかこつけて手も繋いじゃったり。
そう思って歩幅を緩めるのだけど、きちんと樺地君はその分一緒にペースを落としてくれる。
なんで?私の顔見たく…ない事ないか。仮にも初々しい期間ではある筈の彼氏彼女だもの。
「樺地君…」
ちょっともどかしい気分になって、振り返ると視界に鮮やかな緑がいっぱいになった。
とっても肌触りのいい…。
「さん……、これを……使ってください」
「へ?」
鮮やかな緑は樺地君のマフラー。樺地君は、驚いた私にお構いなしにマフラーを巻きつけると、今度はニット帽と手袋を外した。
樺地君は坊主頭だから、視覚的に寒そうに見えてしまう。
「これと……これも」
「ええ!?いいって。樺地君が寒いって!」
私は抵抗したけど、樺地君は身長差に物をいわせてニット帽を私に被せてしまった。そして、手袋を私に握らせると「部活で慣れている」という理由で、素直に手にはめるのを待っている様だった。
むしろ、寒さにかこつけて手を繋ぎたかったのになぁ…。
でも、私は樺地君のそんなところを好きになったのだ。私も含め、そんじょそこらの奴等には真似出来ない優しさ。自分が寒くても、相手に暖を譲る滅私の心。
空気を読まない、けれど、私の事を考えてくれてる一歩上の優しさ。
やっぱり、樺地君と付き合えて良かった。
「…ありがとうね」
「…ウス」
樺地君の耳が赤くなったのは、きっと寒さだけの所為じゃないと思いたい。
その後、やっぱり樺地君は私のぴったり後ろを歩き、私は手を繋ぎたいという事が言い出せなくて、変わらぬ距離で歩いた。
そろそろ、足が限界かも…という所で、気のよさ気なおばちゃんに呼び止められた。
おばちゃんは、遊覧船の待合室を指して「次の便までかなり時間が空いてるから休んで行けば?」と言ってくれたので、私たちは休む事にした。
中には灯油式のストーブがあって、ヤカンが湯気を優しく出している。
樺地君は、一旦引き返して、一番近い自動販売機で缶コーヒーを買いに行ってしまったので、待合室を独り占めだ。一番近いといっても結構距離がある。
「うわー…生き返る…」
今、とっても幸せと思ってベンチに腰掛けている。つま先から頬っぺたまでじわりじわりと暖かさが侵食して行く。
不意に、引き戸を開ける音がして、冷気が流れこんで来た。
おばちゃんが、お盆にお椀を乗せて入ってきた。
「寒かったでしょう?」
「はい。」
「店で沢山作ったから飲んでね。カサゴの潮汁」
「え。いいんですか?」
「子供は遠慮しちゃいけないのよー?」
おばちゃんは潮汁をベンチに置いて、更に話しかけて来る。
「あら?彼氏は?」
「あ、飲み物買いに自販機まで…」
「あら、そうなの?さっきから見てたけど、いい彼氏よねえ。」
「……ええ。まあ」
「私、アナタのスカート見てて気が気じゃなかったわー。いつめくれちゃうのか」
「うわ。ごめんなさい。お目汚しで…」
やっぱり、こんな強い海風の吹く地域でミニは無謀だった。
恥ずかしい思いをしていると、おばちゃんはちょっと驚く事を言い出した。
「でも、やっぱり彼氏ねえ。スカートがめくれても見られないように、風下にぴったり立ってくっついてて…微笑ましいわー」
「え…」
私はただ“手を繋ぎたい”という欲望にかまけてたので、そういった見方は出来なかった。
マフラーにニット帽に手袋、後ろに立って居てくれた事…私は、樺地君に守られてばっかりだ。
再びからりとした音をたてて戸が開く。樺地君が缶を二つ持って入って来た。
「じゃ、年よりは退散するわねー。お椀は置いておいてくれればいいから。彼氏さんも飲んでね」
「はい。本当に、ありがとうございます」
「ありがとう……ございます」
おばちゃんはにこやかに、戸を潜って帰っていった。樺地君は、包むとかなり小さく見える缶を持って私の隣に腰を降ろした。無言で缶コーヒーを差し出してくれる。
「ありがとう」
「ウス」
「おばちゃんが潮汁持って来てくれたよ。樺地君、カサゴって平気?」
「ウス」
樺地君は「はい」でも「いいえ」でもなく、「ウス」をよく使う。でも、いつもそこにはひっそりとしたリアクションが伴う。私は、いつも、それを読み取る度に嬉しく思う。ちょっとしたゲームの様だし、当たっただろう時の楽しさと言ったら無い。
潮汁は丁度いい味付けで生臭さが無くて、かなり美味しく頂けた。
お腹が満たされて、食後のコーヒーを胃袋に収めて、私たちは満ち足りていた。
しばらくお互い無言で居ると隣から、静かな規則正しい呼吸音が聞こえて来た。
樺地君を見ると、目を閉じてて…眠ってるみたいだ。朝は中々早かったし、いつもハードな練習をしているだろうし、勉強もきっちりしているから、幾ら寝ても寝足りないのだろう。
樺地君の顔の作りには、元々人好きのする様な親しみ易さはない。だから、寝顔はぶっきらぼうにも見えるかも知れない。
だけど、彼女の特権なのかとにかく可愛く見える。安らげる。
好きな人の寝顔を見るって幸せな事なんだ…。胸がいっぱい。お腹もいっぱい。
私は、樺地君から、形容し難い貴重なものをいっぱい貰っている。
ベンチから立って、中腰で樺地君の顔を覗きこんでみる。
私は、樺地君に貰った嬉しい事や暖かい気持ちを、そんなに返せていない気がする。なら、せめて樺地君の安らかな気持ちが壊れないように、崩れないようにしながら側に居よう。
「今日も、これからも、ありがとう」
小声で呟き、樺地君の唇に唇でそっと触れてみた。
このドキドキ具合といったら…!!
いつか私たちが、お互い起きた状態でキスを交わした日…。そこからしばらく経ったら、教えてあげようかな。
「私たちのファーストキスは、いつ?」って…。外したら、樺地君でも焦るのかな。
見てみたいかもしれない。
ああ。まともに顔を見るのが、熱によって上手く出来ないや。意味も無く戸に勢い良く駆け寄って、少し開けて冷気によって頭を冷やす。
だから、私は気づかなかった。気づかない事にした。
樺地君の体が一瞬強張っていたのも、樺地君は樺地君で顔の熱が上がっていたことも。
それを知るのは、きっと少し遠い先。私たちの肩の力が少し抜けて、自然体で過ごすようになった、気安さの生まれるある日なんじゃないかと思う。
(fin)
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