my monkey is blue.
夕飯も済ませた私は、いつもに比べて大音量で音楽を自室にて楽しむ筈だったのだけど、それをしていない。
むしろ、いつもより小さな音で、BGMになりうる程度にプレーヤーを稼動させている。
今、私の部屋には、大きな幼なじみの長太郎がいる。
夕飯を食べ終わる時間ジャストに、勝手知ったるタイミングでやってきた長太郎はせわしなく、いつも通りに振る舞った後すぐに私の部屋に行った。
「何かあった」とすぐに気付いたけど、我が家の掟・皿洗いを疎かにする訳にいかない。それに一人になって、無理した笑顔を取り払う時間も必要だろうから、あえていつも通りに皿を洗い、ジュースを持ってきてあげたのだ。
それなのに、ずっとだんまりを決め込んで…ただただ下を向いてる。一人で、思考の奈落に落ちて行こうとしてる。
こんなこと初めてだ。
いつも私の部屋に来た時は、まっさきに話したい事を話すのに。
気には、なる。
だけど、長太郎がこんな状態じゃ私は、ただ空気になったつもりで此処に居ることしか出来ない。
一人が嫌で友達に電話して、でも言葉や間合いを上手く操れない時みたい。でもそんな時、友達が話を切り上げずに付き合ってくれるのが有り難かったり…きっと、今の長太郎にとっての私はそういうポジションなのだ。
「振られた…」
長太郎が、不意に話し出した。
振られた…。
それは、初恋の君に振られたって事か。
“初恋の君”というセンスの無い名前は私がつけて、ひっそり心の中で使っている。彼女の名前なんて知りたくなかったから。
私は中学に入って間もない頃から、長太郎の恋愛相談を受けてきた。
『今日は、一緒に駅まで帰ったよ』
『練習試合に見に来てくれたんだ』
『彼女には好きな人が居るらしい』
『相談役でもいいんだ。役には立ってるから…』
…いろいろ聞いては笑顔で応援し、時には真面目にやっぱり励まして…それも今日で終わり。
ほっとする半面、長太郎の痛みが私を悲しい気分にさせる。
「両想いになったって…報告された」
長太郎は少し笑って、話を続けた。
「馬鹿だよね。振られるに決まってんのに。でも、今日言わなきゃずっと言えない気がしたんだ」
私は何も言葉が出てこない。初恋の君が両想いになれたのは、長太郎が相談を受けて励ましたりしたからだろう。
何度も、彼女が弱気な発言をしていたことを聞いた。
でも、長太郎はそこに漬け込まずに励ましたりしてたらしい。その度に私は「馬鹿じゃないの。チャンスなのになんで励ますの?」と何回も言ってきた。
けれど、長太郎曰く“彼女の本当に望むことじゃない”そうだ。
「彼女、困ってた」
長太郎の寂しそうな笑顔が、私の心に痛みを与える。
「本当は嬉しい気持ちでいっぱいで居られる日なのに、困らせちゃったんだ」
長太郎は振られた事じゃなく、彼女を困らせた事に心を痛めている様だ。本当に…オメデタイ子。
いいじゃん。困らせても。今まで初恋の君に与えた恩恵に比べれば、本当に些細な事だろうに。
長太郎が振られて安心してる。でも、長太郎を振った初恋の君が腹立たしい。
私も矛盾してる。
私も長太郎から恋愛相談を受けながら、彼を慕いながら言い出せなかったから。「好きだ」って。
この心地いい距離が崩れるのが、たまらなく嫌だったのだ。
だけど、長太郎は今日、相手は私じゃないけれど初恋の君との今までの関係を崩した。
関係を変えるためには、なにかしら行動を起こさないとやっぱり変化は望めない。幼虫が成長する時だって大変な思いをして、今までの慣れ親しんだ硬い皮膚を一枚ずつ脱ぎ捨てて行く。
長太郎の場合は、ただ“伝えたい”“知って欲しい”と心から思ったから言っただけの事なんだろうけれど。
私は、長太郎じゃないから。相手のことだけを思いやれないから。ズルイから。
だけど、彼女よりもいい女になるつもりはある。
脱皮、したい。
長太郎の背後に移動して、精一杯強く抱きついてみた。
長太郎が一瞬、びくりと筋肉を動かすのが分かった。そして、固まってしまったのも伝わってくる。
「私にしなよ」
長太郎は、さらに固くなってしまって動かない。きっと、今、初恋の君の気持ちを味わってる。
「ずっと、好きなの」
「…ごめん…」
長太郎は、初恋の君と同じ返答をした。
予想はしていた。
すぐに気持ちを切り替えられるほど、機械的な気持ちでも、軽い羽毛みたいな気持ちでもないんだから。
それは私だって同じ。振られることなんて承知の上だ。
だけど、知ったから視点が変わるって事もあると思う。長太郎が告白した事で、初恋の君が長太郎の事を気になりだすかもしれないし。だからフェアに、私も長太郎にとって少し違った意味を持ちたい。
今日から“好意をもった近所の幼馴染”として、長太郎の目に映りたい。
至近距離にある、長太郎の服の布目がぼやける。
予想していた失恋だとしても、やっぱり胸が痛い。
でも、泣き顔は見せたらいけない。もし見られたら、長太郎は絶対に気に病んでしまう。
私は立ち上がって、長太郎の背中に顔をくっつけて見られない様に、部屋から閉め出して鍵を掛けた。
部屋の外からは「?」という問いかけが聞こえて来る。それは戸を小突く音と交互に聞こえて来て…しばらく繰り返されて居たけれど「…ごめん」
とだけ聞こえたら後は何も聞こえなくなった。
謝られたら、余計に惨めじゃないか。
私は布団を被って、声が漏れない様に枕に顔を押し付けた。
どうやって、立ち直ろう。どうやって、明日から頑張ろう。
痛々しい空元気は、自分でだって感心しない。
馬鹿な事をしたかも知れない。だけど、その馬鹿なことを補う努力をしなければ。落ち込みっぱなしで居てはいけない。
とりあえず今は泣くだけ泣いて、“受け入れてくれなかった”と拗ねない様にしなくては。
*-*-*
一晩泣いても、少し落ち込みがちな心がいきなり変わる訳ではない。
でも、泣いてる内に考えた事があった。
私は、自分を見て貰う為に何かしたかな?
答は『していない』。
自分を磨いていたかな?
答、『していない』。
まだまだ頑張る余地はある。
それに、間近でいい方向に変わっていけば、嫌でも目に入るだろうし。もし気づかなかったら、意思表示をする様に心がけて行こう。
とりあえず昨日の自分勝手な行動を謝りたくて、長太郎の帰りを待ち伏せている。
家に直接行った方が手間が無いのかも知れないけど、それだとおばさんやお姉ちゃんにきかれるかも知れないので恥ずかしい。
もう暗くなって、電車が停まる度に人波が激しくなって、まばらになっての繰り返し。
その繰り返しの度に目を見張る。
だけど、一向に長太郎は来ない。
ただでさえ好きな人だし、氷帝の制服を着て背が高い長太郎を見つけられない方が変だろう。
だから、多分まだ帰って来てない。
練習が延びたのかな?
部活の人たちと寄り道してるのかな?
もう何回も、駅から一気に出てくる人を見送ってるけど一向に見当たらない。
もう、いつもならお風呂に浸かっている時間だ。
お母さんには「長太郎に会いに行く」と言って出てきたけど、そろそろ帰らないと心配されるかも。
「!」
何故か、改札と反対方向から長太郎の声がした。
目を向けると、何故か普段着の長太郎が困ったのか驚いたのか分からない様な顔で駆け寄ってきていた。
「良かった…」
傍まで来ると、手に膝をついて肩で息をしだした。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないだろ!」
長太郎が怒った様に…いや、実際に怒っている。
どうして、普段着なの?どうして、私は長太郎を見つけられなかったの?
「夕飯食べてたら、おばさんが来て…でもは来てないし…俺に用があったって言ってたから、もしかしてって思ったら、やっぱり」
長太郎がまとまりの無い説明をしながら、泣きそうな顔をする。
汗が額からつたってた。もしかして、家から駅まで走って来た?
そう思うと、まだ私にはその価値がある事が嬉しくて涙が出てきた。
「…帰ろう」
私は袖で涙をおさえながら頷いた。
*-*-*
「長太郎が電車で帰ってれば大騒ぎにならなかったのに…」
「先輩が車で送るって言ってくれて…。でも、ごめん。俺も一緒に謝るから、ね?」
涙声の私を落ち着かせる為か、手を握って引っ張りながら長太郎が言い訳を述べてくれた。
手を繋ぐのは、何年ぶりだろう。いつの間にか私のほうが照れてしまって、長い事繋いでない。
手をつなげるとは微塵も思っていなかった。昨日、思いのままに行動して、長太郎を傷つけてしまったから。
「…私、ね。昨日の今日じゃ諦められない」
「…うん。分かるよ」
お互いに、昨日失恋した同士だもんね。すぐに気持ちの整理がつくような、さっぱりとした想いなんて持ち合わせていない。
「だけど、私、何もしてなかった。可愛くなる努力も、内面を磨く努力も何もしてなかった。ただ、長太郎と仲良くして居たかったから、そればっかりだった」
長太郎が黙る。怖くて顔を上げられない。その分気まずくて、伝えようと思ったことはきちんと言おうと決意し、慌てて言葉を紡いで見る。
「だから、昨日ので判断しないで…。私、1回振られただけじゃへこたれないけど、とりあえず忘れて。」
そして、明日からいつもどおりにしつつ頑張るんだ。
そのために、長太郎から気まずさが抜けて欲しい。忘れてくれと言って、忘れられるものだとは思わないけど、とりあえず念押しで。
そして、有言実行!
「今日から私、女の修行するから!イイ女になるの!」
ああ、全く纏まらない。こんなんで、分かってくれるのかな。伝わるのかな。
「…分かった」
長太郎の優しい声が私に降って来た。
顔を上げると、優しい顔をしてる長太郎が視界に飛び込む。
「…俺も弱音はいてたけど、今日からまた頑張れると思う。」
そう言って私の手を、少し強く握った。
「…俺、の言葉でいっぱい元気になれた。今も、やるべき事を気づけたし。ありがとう」
「…うん。どういたしまして」
私の言動のどこにポイントがあるのか分からないけど、いつも長太郎への言葉は真剣だった。何かしら感じててくれてるなら、これ以上に喜ばしい事って無い。
「がイイ女になるのが先か、俺がレギュラーになるのが先か…一緒に頑張ろう!」
よかった。いつもの長太郎だ。
最近、初恋の君の事でこの笑顔を見る事は減っていたけど…昨日の今日で笑顔を見せてくれるという事は、仮に演技だとしてもそれだけ余裕が出たってことじゃない?
とりあえず…私の恋心は首の皮一枚で繋がった。
いままで、初恋の君を避けていたのと、自分が公立の他校生だから、試合はおろか練習試合も行った事なかったけど、今度から応援に行ってみようかな。スポーツドリンクでも買って…。
私も、長太郎の手を強く握り返してみる。月を見上げたら、満月だった。
何となく、幸先いい気がして、私の口角は少し上がるのだった。
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2007/07/18
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