my monkey is blue.
それから、侑士さんと映画と、お父さん関連の話をしていた。
最初、得体が知れなくて怖かったけど、侑士さんは好きなものを話すときは饒舌になれるタイプなのかもしれない。
「俺が得意なジャンルはラブロマンス系なんやけど、“俺でいいの”は素直におもろい思うたで」
“俺でいいの”は、愛寧で次に上演する話。そして、侑士さんが好きな演目だ。
「次の公演は“俺でいいの”なんやろ?絶対観に行くわ」
「ありがとうございます。友達も誘って、観に来て下さい」
「ちゃん、意外と商魂逞しいな!」
そりゃ、お父さんの事はみんなに知って欲しいから。
でも、同級生に観劇を勧めるのは気が引ける。映画を見る事と比べるとどうしても割高になるし、舞台を観る習慣は持ってなさそうだし。
その点、氷帝生なら家庭環境から違うので、案外すんなり観に来てくれるかもしれない。
ほら、オペラやオーケストラや、ミュージカルやら。
後ろで、扉が開く音がした。
振り返ると、普段着の長太郎がいた。
近くに来ると、石鹸の匂いが私の鼻をすりぬける。
先輩が来てるのに、ほぼ初対面の人と話して、私は話題が見つからなかったかもしれないのに、何とも悠長である。
でも、きっと、汗を早く落としたかったんだろうな。そんなところも、らしい気がする。
「長太郎!侑士さん、お父さんの事知ってたよ。びっくりしちゃった!」
「…侑士さん…?」
長太郎は、眉をしかめた後に侑士さんを見て、目を丸くした。
「あ!忍足先輩の事?」
「鳳…自分、ええ度胸しとるなあ」
長太郎も勿論お父さんを知ってるけど、それは私のお父さんだから知ってるのであって。
多分、普通に生活したら、まず、お目にかからない名前だ。“キクキヨシ”なんて。
「すみません!あ…でも、そろそろ帰らなくていいんですか…?」
長太郎が壁掛け時計をみて、侑士さんが携帯を見つめた。
「…せやな…ほな、おいとまさせて貰うわ」
侑士さんは立ち上がり、カバンを持った。
「あ!俺、駅まで送ります」
「ええって。駅までなら、せいぜい十五分やろ。二人とも、今日はもう休み」
侑士さんは立ち上がって、カバンと、ラケットの入っているカバンを持つと私達に向かっにっこりと微笑んだ。
なんだか、電話番号とアドレスを教えてくれた時の笑顔みたいに、私の目にはのっぺりと映った。
「ちゃん、約束忘れんといてな」
「はい。お父さんに聞いておきますね」
私達は、玄関まで一緒に行き、侑士さんが見えなくなるまでそこに居た。
「侑士さんて、すごい人だね」
私は、侑士さんが見えなくなってから、長太郎に話し掛けた。
「うん…正レギュラーだしね」
「あ、それもすごいと思うけど…映画をいっぱい見てるの!気になってる映画の、感想聞けちゃった」
すごいなあ。的確に、一般的な評判も踏まえて、自分の感想もおりまぜたりして説明出来るのは。
「ああ…忍足先輩は、映画鑑賞が趣味だから」
「どうしたの。感動薄いね?」
長太郎が少し声を小さくして受け答えたものだから、私は追求してしまう。
部活、大変そうだもんね。疲れてるのかな。
「え?そんなことないよ」
長太郎は、慌てて笑顔を出して答えてくれた。
やっぱり疲れてるのかな。
少なくとも“元気一杯”な状態じゃあない。
でも…久しぶりに会えて、私の中には“もう少し一緒に居たい”という願いが沸き上がってきていた。
「麦茶冷えてるけど、飲んでかない?」
「うん。飲もうかな」
「じゃあ、持ってくから、部屋行ってて」
私は台所へ。
長太郎は私の部屋に行くために階段を昇る。
麦茶を二つのコップに注いで手にしたら、お母さんがテレビを見ながら話かけてきた。
「長太郎くん、まだ居るの?」
「うん」
「襲わないでね。訴えられたら破産しちゃうから」
お母さんは冗談のつもりだろうけど、笑えない。
だって、鳳家は本当に弁護士が大黒柱だから。
それに、私は長太郎に片思い中なのだ。
笑えないけど、お母さんのきわどいジョークには慣れっこだから「わかった。嫌がったらやめるから」と返しておいた。
こういうやりとりは、長太郎を好きになる前から続いてる。
だから、いまさら焦りようがない。
「お待たせ!」
部屋に入ると、長太郎は座布団に座って本を読んでいた。
それは、前回の“俺でいいの”だ。
「ありがとう」
長太郎は、台本から目線を外し麦茶を受け取ると、一口飲んだ。
「なんか、の家で飲む麦茶って落ち着くんだよね」
「それは、古い家だって言いたいの?」
「違うって。そんな意味じゃないよ」
長太郎は、笑いながらコップをテーブルに置いた。
「昔から、よくのとこで麦茶を飲んでるからだろ?」
「はいはいはい」
こんな返事だけど、本当は分かってる。
長太郎に、我が家を悪く言う気持ちなんて無いってこと。
「急にどうしたの?台本引っ張り出しちゃって」
長太郎は、一瞬台本に目を落として、またこっちを見た。
「なんとなく…今まで読んだ事がないなって思って。これ、借りてっていい?」
勿論、ノーなんて言う訳ない。「いいよ、いいよ。持って行って」と即座に許可を出す。
長太郎は「ありがとう」と言って台本を閉じた。
今日は、お父さんの台本が大活躍だ。
侑士さんにも、今回上演するものでなければ貸してあげたかったけど、流石にお父さんの知らない人に台本を黙って貸すのは気が引けた。
お父さんはその辺の事を気にしないだろうけど、やっぱりお父さんに許可をとってから貸したい。
「侑士さんは、“俺でいいの”を観たことあるんだって。すごく気に入ってくれてた」
「ふうん。そうなんだ…また、ずいぶん仲良くなったね」
長太郎は、やけに抑揚のない喋りをした。
「あー…うん。侑士さんも気を遣ってくれて、いっぱい話し掛けてくれたから。」
「そっか。」
長太郎は軽く笑って返事をしたあと、「本当にそうかなー…」と呟いた。
何か引っ掛かる言い方だ。
「どういう意味?」
私が聞き返したら、長太郎は慌ててかぶりをふった。
「意味なんてないよ!?全然!」
長太郎は、麦茶を一気に飲んで、こめかみを押さえた。
ものすごく痛そう。
痛くなるのが分かってるのに、なんで一気飲みをするかなあ。
「大丈夫?いきなり飲んで…痛くなるに決まってるじゃん」
「うん…そうなんだけど、さ」
長太郎は、痛そうに笑った後、息をゆっくり吸って天井を仰ぐ。
痛みがひいたのか、眉の間にあった皺は無くなっていた。
長太郎は私に向いて、少しまた息を吸って、改まった顔をして見せた。
「…足、見せて」
「…足?」
何だ。いきなり。
侑士さんの発言といい、長太郎の今の発言といい…氷帝は足に関して何か特別な教育でもしてるのかな?
訳が分からないまま、ジャージをめくり上げて、ふくらはぎを長太郎の前に晒した。
「違うよ。靴下脱いで」
「はあ?!何言ってんの!」
長太郎の爆弾発言に、びっくりして声を荒らげてしまった。
靴下は、今日一回も脱いでない。
と、いうことは、糸屑や繊維がこびりついてるし…気になる臭いがあるわけではないけど、ものすごく抵抗がある。
「ヤだ!」
「なんで?!」
「ヤだったら、ヤだ!」
「理由を言ってよ?」
理由は…足が汚いからなんて言えるか!
まだ、絆創膏だらけで尚更、見目麗しくないっていうのに。
「理由を言えないなら、見るからね!」
長太郎が、私の足首を掴んで引っ張ったので、私は布団に思いきり倒れてしまった。すぐに、靴下の脱がされる感じが、足から伝わって来る。
なんでまた、足をそこまでして見たいんだ?!
無理に見た癖に、長太郎が無言だ。
あれ…私、自分では足臭くないつもりなんだけど…自分で気付いてないだけだったとか?
嫌だな…明日からどうやって過ごそうか…と思ってたら、ふくらはぎ辺りがつってきた。
変な体勢してるからだ。
「痛い痛い痛い!つった!つったー!!」
「あ!ごめん!」
長太郎は足をまっすぐにして、親指を反らせてくれた。
「ごめん。大丈夫?」
しばらくして、痛みがとれたので、こかされた事と、無理に靴下を脱がされた事もあって、長太郎の頭をはたいてみた。
「ヤだって言ったじゃん!」
「だから、ごめんってば!」
長太郎は、心底申し訳なさそうだ。
「…で、何がしたかったの?」
長太郎が、また改まった顔をして、靴下を私に返してきた。
「忍足先輩に…の爪先を見てみろって…そしたら、おんぶしてた理由が分かるって言われた」
なんだか、拍子抜けしてしまった。言葉を捜すけど出て来ない。
「こんなに怪我してたのに、来てくれたんだね…。ありがとう」
そして優しい顔で笑うものだから、私は毒気を抜かれて、ただ長太郎を見つめたのだった。
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