“希望など有って無いよな我が世界。死んではならぬ。死んではならぬ。”
…この歌は分かりづらいと思うから、自分で解説する。
“希望はあると言われても、私のこの先には無いようにしか見えない。そんな簡単に希望とか言わないで。でも、死んだらいけないとは思っては居るよ”
こんな思いを、歌に込めた。本当は、辞世の句とか作りたいけれど…先人たちのように、燃えるような思いも無いから、練習中。

。高校二年。鬱気味。人格障害らしい。詳しくは、あえて聞いてないけど。
自分の人生には、この先いい事などおきないような気がしてならない。そんな暗い気分から逃げるべく…ちょっと…いや、かなり、処方された薬を飲み過ぎて、一昨日、病院に運び込まれた。
入院は精神的に良ろしくない。
死と隣り合わせの人が居るのに、私は、何、自分を突き落とすことをしているのだろう。そんな、うしろめたさを勝手に感じてる。

多分、こんな事を思うのも、退院してせいぜい一週間くらい。この前は、そうだった。

どこでしくじった?この前より、薬は減らしたのに。
やっぱり、あの量でも私は、死んだように眠り込むらしい。お母さんがいくら平手打ちしても起きなかったそうだ。口の端っこには、鮮やかな青紫が陣取ってる。
気付いたら胃洗浄中で苦しいったらなかった。
この前は、こんな思いをするなら二度としないと懲りた筈なんだけど、結局またやってる。そして、また懲りてる。
だけど、痛さに慣れるみたいに、痛さが消えていくみたいに、きっとまたやってしまうんだ。そんな気がする。

「隣、いい?」

上から降って来た声に顔を上げれば、男の子が立っていた。

「あ。どうぞ」

色白で、でも病人のようには見えない。首から、手の甲から、覗く筋は女の子のそれとは違う。艶々した黒髪は、波のところで光を反射してる。

少年は、座ると私のノートを指さした。

「それ。何、書いてるの?」

「これ?…短歌…かな」

「短歌?自発的に作ってる子、初めて見た」

少年の感心したような微笑みに、私は渇いた笑いしか発っせられない。
言えない。うっかりヘマをして、この世から去った時の辞世の句を作る為の練習だなんて。

「…いいね、その歌」

「へ?」

「ああ、ごめん。目に入ってきたものだから。つい読んじゃった」

少年は、少し申し訳なさそうに手を挙げた。謝罪の意思だろう。

このノートには、さっきの歌しか書いてない。

「…そうかなあ…足りないものだらけだよ。詠んだ人は、きっと何が何だか分からないと思うな」

「そう?足りないところを、自分で考えて感じるのが、短歌や俳句のいいところだと思うけど」

そう言って、少年は空を仰いで語り出した。

「希望がなくたって、絶対に死ぬもんか…って意気込みが感じられるよ。いい歌だね」

「え…」

それは、私が書く時に考えてたことと、正反対なんだけど。
少年は、とても前向きらしい。

「ねえ。その歌、貰ってもいいかな?」

「え?」

「気に入ったんだ。入院中だと、たまにふさぎこみそうになるから…そんな時に、この歌を見たいな」

不思議だ。私が、ものすごくやさぐれた気分で書いた歌なのに、この子にとっては前向きな歌になってる。

「いいよ。」

私はノートをちぎって、その子に渡す。

「ありがとう。友達に清書して貰ってもいいかな?」

「いいよ。…恥ずかしいけど」

もうくれてやった歌だ。煮るなり焼くなりなんなりとどうぞ。そう思う。

「ありがとう。あ、名前も書いておいてくれる?」

「なんで?」

少年は笑いながら手を口許に持ってきた。なんて柔らかい物腰。
こんな所作の男の子に会った事は無い。

「俺が書いたって思われたら大変だろ?作れないのに。やっぱり、作者名は歌の隣に書かないとね。」

「ふうん」

よく考えずに、私は“”と書いた。

「ペンネーム?」

「違うよ。」

ペンネームを作るとしたら…もっと難しい感じの意味を込めたいな。

さんは、一昨日来たんだよね?」

「うん。なんで知ってるの?」

「病室に運ばれるところを見たからね。もう、具合はいいの?」

「もう、すっかり。明後日には退院出来るよ。」

少年は“なんだ”と言って、背もたれに体重を預けた。

「残念。せっかく話し相手が出来たと思ったのに」

「なに、それ。そこは“おめでとう”じゃないの?」

「冗談だって」

私が怒った風味で言葉を返したら、彼は笑って天を仰いだ。
横顔がとても綺麗で、見ている私は呼吸を忘れてしまいそうだ。

「じゃあ、聞いていいかな?何で運ばれて来たのか」

彼は体勢を変えないで、そのまま話し掛けてきた。

私は、答えに詰まる。
入院してる人に、鬱や自殺未遂に近い事を話したら気分を悪くしないかな。
それに、ぺらぺらと話すような事じゃない気がするし。

「…食中毒…」

とりあえず、明言を避けて、嘘でもなさそうな事を言ってみる。

「へえ。食中毒って、そんなに早く動けるものなんだ?」

「あ…うん。そうだね。自分でも、びっくりかも」

「一体、何で食中毒に?」

「薬」

そこに食いつかれるなんて思わなかった私は、うっかりとありのままに答えてしまった。
彼は、笑顔から少し驚いたような顔になり、私を見遣っている。

「…薬?」

男の子は、何故か微笑んだ。

「正直なんだね。薬って…何か治療中なの?」

「……人格障害」

「人格障害?」

彼は、少し考えているらしく、眉をしかめた。
全く知らない人がこの名前を聞いても、ピンと来ないかもしれない。

「私、自傷癖があるの」

「じしょうへき?」

「自分の腕を切っちゃうの。むしゃくしゃしたり、落ち込むと。」

もう、いいや。どうせ、この子とは会っても明後日までだ。
この話をしても微笑まれたって事は、何で私がオーバードーズしたかが知りたいんだろう。
話したって良さそうだ。入院中の退屈しのぎに、茶飲み話くらいくれてやる。

「なんかね、友達と話しててもどこかで否定的に考えてるの。でも頑張って話についてこうとして、疲れちゃうっていうか。それでもやもやしてて、深ーく眠りたくて溜め込んだ薬を一気に飲んだんだ」

男の子は、驚いた顔をしている。
引いたよね、やっぱ。
きっと、聞いてしまった事に対して、困っちゃったのと後悔が混じり合ってるんだよ。

どーだ。聞かなきゃ良かっただろ。と、必死に開き直ってみる。

次はどんな言葉を言ってくれる?
それとも、このまま黙っちゃうの?

私が殺伐とした気分で、彼の返答を待っていると、彼はまたもや微笑んだ。

「…退屈なの?」

「え?」

いきなり、何?
私の中で突発的に出来ていた気持ちが、彼の言葉によって崩される。

「退屈。してるんでしょ?」

「何で、そう思うの?」

「退屈が我慢出来ない。どうにもならないから苛々する。だから、壊れてしまえばいい…そう思うんだろ?」

彼の視線は私を捕らえた。不思議な強さを持っているので、眼を反らせない。
私は…確かに、話をしている時、私を不安にさせる友達に苛々していた。だけど、自分ではっきりと思ってた訳じゃなく、彼に指摘されて、今気付いた。「壊れてしまえ」とまでは思わなかったけど。

「随分、具体的な解釈だね」

「俺も、そうだからね」

そう言う、彼の目は穏やかだ。穏やかに、強く、こんな怖い事を言える。

「たまにね、一人で病室に居ると…この入院も、人も、ニュースで流れてる事件も、全てが無意味に思える事があるんだ。」

分かる。私も、テレビを見てて、時々悲しい気分になる。それがバラエティー番組でも、全てが嘘っぽく薄っぺらく見えて仕方なくて、笑顔が映る度に虚しい。

「…でも、投げやりにならないのは、仲間のおかげかな」

「仲間?」

「テニス部の仲間。ベタベタな関係ではないけど…でも、仲間だよ」

彼は、今度は優しい顔になった。なんて、幅のある表情だろう。

「仲間…って言える人が居るんだ。いいね」

「…君は、仲間になってくれないの?」

「え?」

「闘病仲間。」

彼は、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
私は、その笑顔が…何故かひどく熱いものに見えて、心が、肺が、心臓が動くのを感じた。

「死んではならぬ」

彼は小指を差し出して来た。

「…死んでは、ならぬ」

私も小指を立てて、彼の小指に引っ掛けた。
温かくも、冷たくもない小指は、私の小指と一緒に上下された。
その間の彼の表情は…笑ってるけど、リラックスしてる様なものでは無く、指きりに願いを込めている様な印象を受けた。

…私みたいに、のうのうとオーバードーズでちょっと昏睡状態になる程度とは、違う闘病なんじゃないの?

振り続けられる小指が力強くて、彼が生きてるという事を色濃く実感した途端に、心臓の震えが強くなって、締め付けられたようで、勢いよく涙が出て来た。

「私、切らないようになれるかなぁ」

「君次第だろ。お互い闘おう。自分と」

私たちは、しばらく指切りを解けなかった。


テ ニ ス 一 覧
2008/02/01
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