「すみませんでした」
次の日、授業が終わってから生徒指導室に呼び出されて、昨日の喧嘩について聞かれた。
生徒指導室から出たところの廊下から中庭を見ると、この前注意された時程じゃないけど、空が暗くなっていた。
そんなに派手な喧嘩じゃなかったから、先生も思った程は怒っていない。
でも、喧嘩した内容については、説明するのが憚られたので'中学の時のいざこざが原因'としか言えなかった。先生も、深く聞く事はしなかった。多分、向こうの先生から一通りの話を聞いて居たのだろう。
今朝、登校したら生徒同士でも噂があった。
男を取り合って、他校生と喧嘩したって噂。あの喧嘩だけ見たら、そう思っても仕方ないと思うけど…。昨日の今日で噂になってるとは思わなかった。
そんな噂で、騒ぎ立てる奴等に苛々して、何かしてしまいそうだった。昨日の、喧嘩の勢いが残ってる。
山田君はどう思ったんだろう。
山田君はの事を知ってるから、まだ好きだと思われてしまうのだろうか。
それは嫌だ。
山田君には、本当の事を知って欲しい。
だけど、喧嘩して更に、問題児になってしまったので、山田君に悪い影響があったらと思うと、近付く事が怖い。
今日は、山田君に対するコンプレックスは影を潜めていた。
昨日、色々あったからだ。
けれど、疲れているのに悪いという気持ちもあって、今日はずっと悶々とし、山田君にも話し掛けられないでいた。
山田君も話し掛けて来なかった。
やっぱり、こんな問題だらけの私では、近付きたくないのかな。
生徒も帰り尽くした薄暗い廊下は、後ろ向きな事ばかり考えさせる。
教室についたので、少し急いで机まで向かい、いつもと同じ様に鞄をとる。
くしゃ。
少し硬い感触。
薄暗いなか目を凝らして見てみると、取っ手にセロハンテープで紙が付けられている。
紙は折り畳んであった。
展開させて文字を見ると、黒で書いてあるらしく何と書いてあるか分からない。
ものすごく気になる事をした人物に、もっと分かりやすいメモの残し方をしろと悪態をついた。
教室の電気を半分点けて、もう一度見る。
“よかったら、下駄箱で待ってて。山田太郎”
疲れ切った心の中で、ぶつくさ不満を言っていたのに、氷みたいにそれが溶けた。
じんわりとして、痛みにも似た、温かいものが胸から広がった。
電気を消して、鞄を荒々しく持つ。
足も軽くなって、下駄箱まで駆け出した。
自分からに走る気になったのは久しぶりで、気持ちに足が追いつかない。
足が廊下を捉え損ねて前のめりで転んでしまった。
廊下に大の字で、うつぶせ。パンツも丸見えだろう。
人がいたら恥ずかし過ぎて、きっとやり切れない。
この時間で良かった。
しかし痛いのも特に気にならず、またすぐ起きて走り出した。
山田君が絡むと気持ちがはやる。
心の中の温かい部分が流れ出てくるのだ。
「ごめん、さん。待たせて」
私が着いて少ししたら、山田君が小走りでやってきた。
いつも思うことだけれど、迫力がある。
なんでだろう。こんなに穏やかな表情をしているのに。
「ううん、私もついさっき来たから」
満面の笑顔で山田君に応える。
走ってハイになっているせいだ。
山田君は笑顔の私に驚いたのか、一瞬間が空いた。
「さんのこんなに笑った顔は初めて見たよ」
確かに、高校に入ってから軽くしか顔の筋肉を使ってない気がする。
玄関をそろそろと出て、空を見るとやっぱり夕方も後半な空模様だった。
「今日もありがとう。送ってくれて」
山田君は事もなげな笑顔で答えてくれた。
「遅くなるって分かってるのに、一人で帰せないよ」
山田君の人好きのする笑顔を見ると、昨日の事が気になった。
山田君は、昨日なんであの学校へ行ったと思ってるんだろう。
私をどう見ているんだろう。
「…私、男の取り合いはしてないよ」
「うん」
「元カレの元カノが少し勘違いしてて…喧嘩しちゃった」
「うん」
不思議だ。この前は心地よかったのに、今日は淡々とした空気が重くまとわりつく。
カラスと紅いオレンジが混じったところを見ると、胸が痛んだ。
「なんで、昨日はあの学校へ行ったんだい」
言おうか言わないか、少し迷うところだ。
だけど、お父さんはいつも終電近くにならないと帰って来ないから、山田君と会うことは無いと思われる。
「帰ったら…お父さんの愛人が来てて。友達と遊んでやり過ごそうと思って」
あえて明るく言ってみた。感じたまま悲しく言ってしまえば、本当にもっと悲しい気がした。
「友達ってこの前掴みかかってきた…」
「違うから。この前球場で一緒だった子」
「そうか」
一瞬、山田君の表情が緩んだのは気のせいだろうか。
「…」
一瞬柔らかくなったと思ったのに、山田君はまた黙ってしまった。
やはり、こんな話はコメントし辛いと思う。
言わなきゃよかった。
言わなきゃよかったと思ったって、吐いた言葉は戻って来ない。
黙ってしまった山田君を、横目で見ては、溜め息が溢れてくる。
山田君の表情は、少し険しい。
だけど、険しい山田君の顔は、かっこいいとも感じた。
そういえば、ミットを構えている時や試合中はどんな表情をしているんだろう。
知りたい。
「…さん、今の状態は辛くないか」
「え…」
何、それ。全く考えてなかった。
「こっちが聞いたりするまで、辛そうな事は話さないじゃないか」
「でも、聞いてる方は気持ちのいい話じゃないと思うから」
「だけど、全部一人で解決するっていうのは大変だろ」
そんな事は考えた事もなかった。考えもしないから大変ではないのか、それとも大変っていう感覚が分からないのか。
「ええと…」
答えに詰まっている私に気を使ったのか、山田君が慌てた様に付け加えた。
「さんが怠そうなのは、少し疲れてるからかなと思ってさ」
「…元気ではないよね」
「だから、僕に色々話してくれないか」
少し複雑な気分。
山田君に追いつきたいのに、弱い、恥ずかしい自分を晒すなんて。
追いつけない気がする。
山田君に追いつきたいんだよ。
負けそうな試合だって、流れを変えてしまう山田君に憧れてるんだよ。
…言いたいけど、頭の熱が上がってしまって、口が動かない。
山田君が、落ち着き払った様子で私にゆっくり語りかけた。
「言いたくない事まで、言えって言うんじゃないんだ。ただ、よく寂しそうな顔をしてるから、そんな時は僕も不安になる」
「なんで」
山田君が不安になるのが、私は解せない。
「近くに居るのに、力になれないのが悔しいんだ」
私を見据える山田君の顔。
暗がりだからはっきりと捕らえられないけど、眉の位置が少し寄っている。
「ごめん、心配かけてるのかな」
「いや、僕が勝手に悔しがってるだけだから。でも、だから何かしたいんだ」
山田君は優しい。
自分だって部活の事でいっぱい考える事があるだろうに。
ものすごく、嬉しい。
息を吸い込み、吐く勢いで言葉に乗せる。
「最近、焦ってるの」
「焦ってるのかい」
「うん。このままでいいのかなっていうか…。夢中になれるものが欲しいの」
山田君が顎に手を当てて前を見てる。
山田君には野球っていう夢中なものがあるから、もしかしたら私の悩み自体が解らないかも知れない。
「…夢中っていうのは…どういう事をさしてるのか分からないけど」
ポツっと山田君が喋りだした。
「少なくとも焦って夢中になるものを探すのは何か違うと思う」
予想していない、山田君の答え。
「でも、もう高校だし…」
今、山田君に追いつきたいのに。
「うん。たしかに今ないのは焦るんだろうけど、今はいろいろな物や事があってすぐにピッタリ当てはまるっていう方が難しいと思うんだ」
そういった視野では考えてなかったから、天から降ってくる言葉みたいに私は耳を澄ました。
「だから焦らないで、もう少し力を抜いて過ごした方がいいと思う」
「…」
「力を抜いた時じゃないと見えない事もあるからさ」
何で山田君は、こんなに私が思いつかない事をスラっと言えるんだろう。ただただ黙って感心した。
「ごめん、あまり参考にならないか」
山田君は申し訳なさそうな声色になっている。
「ううん、そんな事ないよ」
少し体が軽くなった気がした。
「明日から、視点を変える。」
明日からは、もう少し明るい表情で過ごせると思う。
「ありがとうね」
下駄箱の時よりも、もっと笑って山田君と話せたらいいな。
精一杯の笑顔で山田君に笑いかけた。
それからは、前よりも口数多く山田君と話して山田君の話を聞いて歩き続けた。
最近嬉しかった事を聞いたら、山田君は意外にも土井垣さんの事を話した。
「あんなに殴られてたのに」
「入部した時だけだよ。僕に期待してる様な事を言って貰えた時は本当に嬉しかったんだ」
「土井垣さん厳しそうだもん。良かったね」
私も本当に嬉しかった。
あの土井垣さんが山田君を認めてくれた事と、山田君の穏やかで嬉しそうな顔に。
歩き続けて、あっという間に家の前に来ていた。
また今日も、山田君との時間が終わろうとしている。
「寂しいな」
言うつもりもなかったけど、ボソッと声に出てしまった。
「何だい」
山田君は、よく聞き取れていなかったらしく聞き返してきた。
私は急に恥ずかしくなって、慌ててかぶりをふった。
「ううん、ありがとう」
「うん、また明日」
山田君が、きびすをかえして来た道を行こうとする。
その時、とっさに山田君のシャツの袖を摘まんだ。
なんで、やってしまったんだろう。
分からないけど、きっと寂しくて、もっと一緒に居たくて…。
山田君はキョトンとしている。
急に恥ずかしくなって、摘まんだ時より早い動作で袖から指を離した。
「バイバイ」
早口で言って、舌を噛んでしまいそうだった。
なんて子供っぽいんだろう。体温が上がった気がする。
慌てて門に手をかけて入ろうとした時、やっぱりもう一度見たくて振り返った。
山田君は穏やかに、少し強気な顔で笑っていた。
ド カ ベ ン一覧*/*次へ
宜しければ感想を下さいませ♪メール画面(*別窓)