「甘いもの好きなの」
「え、どうしてですか」
「どうしてって…今たくさん頼んでたから」
「僕、甘い物なんか頼んでましたか」
坂田さんは驚いたらしく、瞳に力が入っている。
「こっちがビックリだよ。からかってるの。今、四つも五つも頼んでたじゃん」
坂田さんはとても落ち込んだ顔をしている。あんなにハッキリ甘い物を頼んでたのに。
男が甘い物を食べるのは格好悪いとでも思っているのだろうか。食べ物の好みは人それぞれだから、別にいいと思うけど。
「甘い物が好きって、ダメな事じゃないよ。私だって放っといたらアタリメとか延々と食べ続けちゃうし…男らしくないとか女らしくないとかは、気にしない方がいいよ」
坂田さんは私の言葉を途中から聞いてハッとしたのか、途中からいつもの落ち着いた顔になった。
「…ありがとうございます。でも、そうじゃない、頼んだつもりがなかったから…」
「頼んだつもりがない…」
「僕、自分の事を忘れたんです」
「自分を忘れたって…どういうこと」
坂田さんは、ゆったりと息を吸いながら私を見た。
「交通事故に遭いました。身体は特に後遺症はないんですが、頭を打って…」
いつもより、心なしかずしりと通る声。身体に響く声の低さから、坂田さんの真剣さが感じられる。
「僕は、自分がどういった人物なのか、どんな人と関わってるのかをサッパリ忘れました」
先刻“好きな服が分からない”と言った時の寂しそうな顔。
「記憶が無くなった後、前の僕について話を聞いたけど、心が痛む話がたくさんありました」
「…どんな事」
「小さな事業をしていたらしいけど、従業員にろくに給料を払わず…いい加減な男だったようです」
坂田さんの眉間に皺が寄った。
「だから、好きな服なんて知らなかったし、甘い物を知らない内に頼んでたいたのは、ダメな自分と繋がってると思うと、少し苦しい気がしたんです」
そう言って坂田さんは少し微笑んだけど、その笑顔は自分を責めている様で、少し哀しげに見えた。
それから私達は、特に早くもなく遅くもない速度で、そして無言でコーヒーフロートとスパゲッティ、ドリアとサラダを食べた。坂田さんはデザートを頼んだので帰る訳に行かず、私は掛ける言葉が見つからず、沈黙はどんどん重なっていって溺れそうだ。
「失礼いたしまーす。レアチーズケーキ、ベイクドチーズケーキ、抹茶ジェラート、ティラミス。以上で注文お揃いですか」
「……」
鬼のように置かれたデザート達。坂田さんは、険しい顔でそれを見つめている。
「お揃いですかあ」
ウェイトレスさんが、不安そうに伝票とテーブルのデザート達を見比べている。
「あ、はい。揃ってます」
たまらず、私は坂田さんの代わりに答えた。
「ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスさんは、ほっとした表情で仕事に戻っていった。坂田さんの表情は固まったままだ。私は、お腹いっぱいなので、こってりでコン盛りとした甘味達に少しだけ辟易とした。
だが、どうしたことか。坂田さんは手を付けようとしない。お腹いっぱいだから、少し時間を置いているのかと思ったが、一向に動かない。ジェラートは溶け、表面にたっぷりのクリームを作っている。
「…アイス…溶けない内に食べな」
「……」
坂田さんは相変わらず動かない。
甘い物がダメな自分に繋がってると思ってるから、食べる事をためらっているのかも知れない。
「……」
坂田さんは表情一つ変えず、まだテーブルを見つめている。よく疲れないな。
「……」
ジェラートが完全に抹茶クリームになった時、私の中で噴火が起きた。初めて坂田さんに会った時より、顔は暑く、定期的な灼熱を帯びた振動が頭に響く。
私は伝票をグシャっと掴み、立ち上がった。
「さん」
「帰る」
「…分かりました…」
坂田さんが紙袋を掴もうとしたのが視界に入り、私は怒鳴った。
「てめえは立つなッ」
坂田さんが目を丸くする。
「物を粗末にする奴は、デエっ嫌えなんだよッ」
坂田さんは、またもや動かない。
「全部平らげないと承知しないから。溶けたアイスも、きちんと食べな」
私は早足でレジまで行き、二人分の代金を支払った。“ありがとうございました”と言ったウェイトレスさんの笑顔は、引きつっている。
店を出ると、太陽が私の心を少しだけ怒った気持ちから覚ました。
初めてのデートは自滅。後の事を考えない自分が嫌になりそう。でも、店で同じ事をされたらと思うと気持ちが押さえられなかった。
朝早い時間に起きて地味に時間と闘い、灼熱地獄の厨房をセカセカ動き、その他沢山の工程を経て、やっとお客さんの前に料理を出せるのだ。
“私は間違ってない”と自分に言い聞かせて歩き出した。
少し気がたっていたので乱暴に歩を進めながら、来た道を戻って来た。
鍵を捻り、店の戸を開けて“ただいま”を言おうとしたら、後ろから肩を掴まれて“うわっ”と声をあげてしまった。
恐る恐る振り返ると、汗だくの坂田さんが居る。
「ぜ…ぶ、た……した」
息も絶え絶えだけど“全部食べました”と言ってるんだろう。全部食べて、私が帰るまでに間に合った…と言う事は。
「食べてすぐ走ったの」
坂田さんは返事の代わりに、肩で息をして横っ腹を抑えている。
坂田さんの腕を首に掛け、腰を持って店の座敷席に運んだ。坂田さんが歩いてくれているとは言え、力の抜けている大の男を運ぶのは、かなり力が要る。坂田さんを壁にもたれ掛けさせて、厨房に急いだ。水を注いだコップを坂田さんの前に置く。
坂田さんの息が落ち着くまで、私はただ腰を掛けてボーっとしていた。さっきまでの、イライラした気持ちが消えて、穏やかな時間になる。
「…ジェラートまで飲み干しました…」
「うん」
「僕は恥ずかしい事をしました。食べ物に罪は無い」
「そうだね。私も急に怒ってごめん」
「驚きました。さすが江戸っ子ですね」
「あ…昔はお祖父ちゃんと一緒に喋ってたから、たまに出ちゃうの。幻滅したかな」
女らしくないからと、父に直されたのだ。だけど、気持ちが昂ぶった時は出てしまう事がある。恥ずかしくて下を向いた。
「どうして。間違った事は言ってないでしょう」
「間違ってるとは思ってないよ。でも、時と場合を考えれば良かったなって」
顔を上げると、坂田さんは穏やかに微笑んでいた。時間が止まる。
「さん」
「えっ」
見惚れていたので、急に話しかけられてビックリした。
「うぬぼれてるんじゃないと言われてしまいそうですが…さんは僕を少なからず良く思ってくれてますよね」
「えっ…うん」
いや、好きとかじゃないよ。いや、好きだけど…。
「身構えないで下さい。変な意味じゃありません」
坂田さんは少し寂しそうな顔をした。あれ、何でそんな顔するの。
「お医者さんが言ってたんですが、僕の記憶は戻るかも知れないそうです」
「うん」
「そしたら、また、チャランポランに戻る…だから、そんな爆弾を抱えた男とは関わり合いにならない方がいい」
坂田さんは、記憶にない自分を怖がって、嫌っている。
「坂田さんは、ずっとその事考えてたの」
「…はい」
「記憶の無い坂田さんしか話した事ないけど…チャランポランな坂田さんは想像出来ないな」
「そうですね…」
坂田さんは、少し落胆していた。
「でも、自分を忘れても、喋って考えるのは…芯がないと出来ないんじゃないかな」
坂田さんは、黙っている。
「だから坂田さんは、戻っても筋は通せる人だと思う」
「でも、チャランポランでさんに迷惑掛けると思うと…」
「そんな事考えたら楽しくない」
口を開いた坂田さんを遮って制す。
「今知ってる坂田さんと違っちゃうとしても、構わない」
「でも、いい加減なんですよ」
「それは、その時考える」
ピシャリと言い放ってやった。
「知ってる坂田さんが居なくなったら寂しくなるけど、それを気にしたら本当の人付き合いが出来ないよ」
「…寂しいと言ってくれるんですね」
「うん…寂しいよ」
坂田さんは穏やかな顔つきになっていた。好きだな…この顔つき。
「私は、大切に過ごしたい。だから悲しい事は考えないで、笑って過ごそうよ」
…私らしくない台詞かも…そう思って坂田さんを見たら立ち上がろうとしていた。
「もう落ち着いたの」
坂田さんは頷いた。
急に身体が包まれた。黒い湿ったニットからは、暖かさと…男性を感じさせる筋肉の堅さが伝わってくる。
「…さん、格好いい…」
心では“えーっ”とか思ってるのに、声が出せない。
「すみません。思いついたまま行動しました…でも、さんはイイ女だから…絶対忘れられないと思います」
「…私も…坂田さんは忘れないよ」
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